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第165回 禅の師匠の言葉
執筆年  2007年   

画・ざむ姫

こんにちは。
犬飼ターボです。

前回は「どんなことで魂は喜ぶのでしょう?」をお届けしました。
メルマガを送信してからあんなに不安になったのは初めてです。

みなさんから素敵なコメントをいただきました。
https://ameblo.jp/inukaiturbo/archives/50898114.html


・こういうことをうすうす感じていた。
・ぼんやりしていたことが分かった気がする

そんな感想が多かったように思います。


頂いたコメントの中で、もとじさん禅の師匠から教えてもらった
という言葉がとても素晴らしかったのでご紹介します。


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 神をありがたがったり、はたまた

 神になろうとしてはいけない。

 私たちの行く道は神をも超えていくのだから。

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「誤解される要素がふんだんにあるから、普通の人には言っちゃダメだよ」
とクギをさされた言葉、だそうです。

たしかに口にするときには場所と人を選んだほうがよさそうです。(笑)

今回は、急遽この言葉の僕の解釈を、ご本人の禅の師匠さんに
了解を取らずに勝手に書かせていただきます。
(もし違うご意見でしたら教えてください)

あなたのハピサクに役立つと思われたら採用してください。


「神をありがたがる」ということが無意味なのは、

有り難い(なかなかない)のではなく、いつも「ある」からです。

神はいつも共にある存在だからです。

そして、「神をありがたがる」ということは神に感謝するのとは違います。

自分の欲求を叶えてくれる依存心があります。

 「神様、どうか私を幸せにしてください!」

 「神様、お金持ちにしてください!!」

と願掛けをするときどんな気持ちになるでしょう?

 『私には幸せになる力がある!』

 『私にはお金を稼ぐ力がある!』

という力強さを感じるでしょうか?・・・しませんね。

幸運ばかりを望む、弱々しい自分になった気がします。

ありがたがって依存するとき、私たちは自分自身の力を否定します。

 

「神になろうとする」ということが無意味な理由は、

私たちは決して神にはなれないからです。

私たちは神の一部であって、神そのものではないのですね。

だから「私は神だ」という人に会ったらすぐに逃げてください(笑)

僕の体の中のひとつの細胞は、隣の細胞に向かって

「私は犬飼ターボだ」とは言いません。

もし言うなら「あなたも私も、犬飼ターボの一部だ」と言うでしょう。

神の一部であることを知っている人は、「あなたにも同じ神の一部だ」

ということを思い出させてくれる人です。

 

「私たちの行く道は神をも超えている」という意味は、

私たちが神を作っているということ。

私たちが赤ちゃんからどんどん成長して大人になるのは、

体のたくさんの細胞が成長するからですね。

同じように今の瞬間の神は、僕たちが成長することによって

次の瞬間にもっと素晴らしい偉大な神に成長していきます。

 

以上、勝手にもとじさんの師匠の言葉を解釈してしまいましたが、
これが正解だとは思わずに、みなさんもどうぞ自分なりの理解
を大切にして下さい。

この瞬間にも今よりもっと偉大な神を創造しているのですから。

感想はコメント欄にお願いします。
みなさんの解釈もぜひ聞いてみたいです。


さて、この「神シリーズ」ですが、あと一回か二回書くつもりです。
その後は、「収入をもっと増やす」をテーマに書きます。
なぜなら、お金と神の話題を一緒にすると嫌悪感を抱く人が多いからです。
そういう人にこそ、お金を稼ぐ意味について学んでいただきたいと思います。

「神とお金」そんなテーマの本を書いたら面白そうですね。

 



第164回 どんなことで魂は喜ぶのでしょう?

第166回 魂の欲求はただひとつ


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